堺屋太一シリーズのご案内

著名人から届いた感想

嘉門達夫 様 : 堺屋太一の青春と70年万博へのご感想・書評
なるほど! そういう事であったか! 目からウロコでした。
子供だった僕は、気付いたら万博の渦中におり
そこまでのプロセスはまったく知らぬまま放置しておりました。
堺屋さんでしたか、レオナルド・ダビンチが、絵画だけの人ではないように、
全方位に対処される人、すなわち天才という存在。
かといって奇抜ではなく論理的にというのも堺屋さんのオリジナリティー。
僕は一生万博から卒業するつもりはありません。

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嘉門 達夫

続々と寄せられる感想

日本 米国 中国 団塊の世代へのご感想・書評
本書は、日本・米国・中国の「団塊の世代」の一断片を紹介しているが、統一的な基準で比較しているわけではない(もっとも、政治・経済・社会が全く異なるこれら3カ国の「団塊の世代」を統一的に捉えようとすることに意味があるかどうかは疑問だ)。だから、ここでは日本の「団塊の世代」についてのみ考えてみる。

私は「団塊の世代」については、ただ漠然と「たしかに人数は多いかもしれないけど、特別な存在ではない」と思っていた。人数が多ければ、少なからず社会に影響を与えるのは当然だし、戦後の日本の在り方を規定しているのはアメリカのはずだからだ。そういう戦後の日本を生きてきたのは「団塊の世代」だけではない。
そして、本書を読んだ後、「団塊の世代」は特別な存在ではないという考えは、むしろ強まった。「団塊の世代」は、戦後の画一的な人権教育とテレビ放送を幼少期から浴びて続けて育った最初の世代だ。そこに、世界中の若者が共鳴した反戦運動や反体制運動が重なった。つまり、「団塊の世代」が戦後の他の世代の違うのは、反戦運動や反体制運動のような強力な外部からの作用を受けたという点であり、「団塊の世代」の行動や思想は主体的なものだったとは言い難いと思う。戦後の他の世代が受けた外部作用には、反戦運動や反体制運動ほどの強烈なものがないので、「団塊の世代」が目立つだけではないのか。

私は、このようにして、「団塊の世代」を考えることで、自らの世代についても相対的に捉え直してみた。あらゆる戦後世代は、画一的な人権教育とテレビ放送を浴び続けているという点で全く同じ環境に置かれており、世代間の違いがあるとすれば、それは感受性の強い時期に受けた外部作用が作り出したものであり、各世代に主体的な個性があるとは言い切れないように思う。
主体性を持って生きたいと思う若い世代は、「団塊の世代」から学ぶことがあるはずだ。ただし、もちろん、主体性のある人生が良いとか悪いとか、言うつもりは全くない。
東京都 石井 様(35歳)
日本 米国 中国 団塊の世代へのご感想・書評
堺屋太一氏編集の『日本米国中国団塊の世代』を読んだ。表題に惹かれたのは、日本だけでなく米中両国にも団塊の世代はいるのか、という興味からだった。どうやら団塊の世代といわれる激動の渦中で生きてきた戦後っ子たちは、日本だけでなく、他と異なる人生経験を持った世代が世界の各国にいるらしい。特にそれは米中ニ大国で顕著だというのだ。

堺屋氏は言う。団塊の世代の特徴は、「団塊の兄たち」によって仕切られた世界に生き、改革の主役になることなく、知価革命の波に乗り損ねて、より若い「弟たち」に舞台を譲るのだということだ。また、米中の戦後っ子に比較して、日本の戦後っ子、団塊の世代ははるかに安定した人生を送ってきた、といえるのだそうだ。

この書籍を手にして、思いがけない実人生に触れながら、米中の二人の人物に出会う。この二人との出会いは、堺屋氏によって、時代背景の背骨を先にしっかり伝授されているだけに、小説の面白さに引っ張られて他人の人生の追体験をするという感覚とは異なり、他者の人生を拡大鏡で追いながら覗いているような気分になる。
米中の二人に出会えたことは、同時代に生きる米中の国と人を理解する貴重な資料となった。

もう一つ、大きく目を開かれたことがある。浅川港「第四章 日本の団塊―敗戦が生んだプロベーション(保護観察)世代」に、戦争状態の続く時代を、団塊が生きた時代に平行移動して考えるという視点である。抜き出してみよう。

―1945年に日清戦争が始まったとしたら、55年には新たにロシア(ソ連)と戦争、さらに10年後の65年には第一次世界大戦、4年後の69年にはシベリア出兵、9年すると78年には第一次山東出兵、4年後の82年には満州事変、6年経った88年には北支事変ときて、わずか4年後の92年にはついに対米開戦ということになる。
その戦争が敗戦という形で終わるのが、96年ということになる。1945年から始まって、高度成長やバブルを過ぎ、90年代の半ばまで、ずっと戦争をしていたと思えばいい。戦前の50年というのはそういう時代だった。
こういう時代を団塊の親やその親、つまり祖父母世代は生きてきたということを、団塊論の背骨として押さえておきたい。というのも、団塊の特異性をそのあとの世代と比べて論じるのと並んで、先行世代と比べてみることには大いに意味があるからだ。多くの場合、世代の特徴は、その先行世代、特に親の世代にどう育てられるかによって、かなり決まってくる。

この歴史のイフの視点は、私には初アングルで刺激的だった。と同時に、父や祖父の生きてきた時代を思いやることができた。もし1945年に日清戦争が始まっていたら・・・。百年に一度の経済不況といわれる現在など、恐らくどうってことはないという境地に立たせてくれる。
東京都 玉田 様(55歳)
日本 米国 中国 団塊の世代へのご感想・書評
「戦後という枠組み」の破壊はこれまでもさまざまな書籍で指摘されてきたテーマだが、本書『日本 米国 中国 団塊の世代』は、このテーマをとりわけ日本における「団塊世代の課題」として描きだしている点が大きな特徴となっている。

「戦後という枠組み」とは、アメリカの保護観察の下で“経済成長させてもらった日本”という位置づけのことだ。こうした背景よって、日本が、GDP・人口において約3倍であるアメリカとほぼ同等の国連分担金を強いられる要因になっているのだという。しかし、今日の世界的不況の中にあっては、さしものアメリカも往時の勢いを失いつつある。では日本はどうか。舵の方向を見直していくべきではないのか。そんな問いかけこそが、本書の主題と言えるかもしれない。

本書は、日本の団塊世代、そしてアメリカ・中国の同世代に着目し、1900年代から現在に至るまでの歴史的な歩みについて評論したものである。「団塊の世代」という単語を生み出した堺屋太一氏の解説による3ヶ国の団塊世代の歩みに加え、それぞれの国の団塊世代の著述家が自国の同世代の歩みについて書きまとめている。

そこから見えてくるのは、日本の団塊世代は他国のそれと比べて、いかに社会的な変化が少なく、安定した生活を送ってきたかということだ。ベトナム戦争や文化大革命などで、米中の同世代が味わった苦難は計り知れない。だからこそ、現在の世界的大不況は、日本の団塊世代にとって空前の試練となって襲い掛かると同書は指摘している。

試練と課題。二つの難題を突きつけられた団塊世代の果たすべき役割とは「投票者として、またその一部はそうした運動への参加者もしくはリーダーとして、保護観察時代を整理分析する」ことであると本書は述べている。これは、国を自立させたいという“意思”と、同時に、時代を変えるのは他人でなく、ほかならぬ自分たち自身なのだという“誇り”をも必要とするだろう。がんばれ団塊の世代。そうした思いを抱かせるほどに、本書は励ましに満ちた論調となっている。

ところで、本書に触れる団塊の後続世代、あるいは団塊世代から生まれた二世の世代は、身が引き締まる思いとともに、ある種のキマヅサを覚えるのではないかと推測する。本書はいわば日本の団塊世代をつるし上げ、批判し、道を示し、励ますものだ。叱られている先輩を見て、得したような損したような甘酸っぱい気分になりたい人にもオススメの一冊!
東京都 田辺 様(25歳)
堺屋太一の青春と70年万博へのご感想・書評
仕事をしていると、やる気を出せるには?仕事をもらえたものの機嫌が悪い人がいる職場でやり遂げるには?など、いろいろ考えてしまうものです。そんなときに、堺屋太一さんの半生を綴ったこの小説は、仕事をする人としての生き方を教えてくれます。

大阪万博の企画を一人で立ち上げて成功させ、時代に影響を与えた「油断!」「団塊の世代」を生み出した堺屋さんの未来予測の感覚、不遇な状況でもやるべきことを成し遂げる私欲を超えた大義、その予測と大義に乗っ取った戦略的な仕事の人間関係こそ、現在の経済や雇用の混迷の中にいる私たちに必要なのではないでしょうか。
また、その大義があったからこそ、堺屋さんは、悪く言われる口実を作らないために無遅刻無欠勤で働き、不遇と思われる転配置転換にも態度を腐らせたり感情を乱されたりしませんでした。仕事をする姿勢としてぜひ熟考したいものです。

そして堺屋さんに小学生の頃から自分の裁量で生させ、相手のために自分で責任を取る姿勢を教えた父親や、未来予測の観点から堺屋さんに助言したドイツ人女性の存在から、質の高い人生のために関わるべき人物像を知ることができました。
この本は、堺屋太一さんと堺屋さんに影響を与えた人たちによる、「仕事の人間関係のダンディズム」といえるでしょう。

大阪万博の開かれた1970年生まれの私も、すっかり魅せられました。
埼玉県 大崎 様(38歳)
堺屋太一の青春と70年万博へのご感想・書評
『油断』や『峠の群像』などの小説を書いた堺屋太一が、通産省の役人時代に、70年万博の企画の中心人物であったことは今では有名な話である。
だがこの本を読む以前の私を含めて、その経緯を詳しく知る人はほとんどいないであろう。私自身、堺屋太一は通産省の中でそれ相応の高い役職に付いていて、万博を推し進めたのだと誤解していた。

それが実際には、通産省にまだ入省して数年の新人に過ぎなかった堺屋太一の夢に始まるという。彼が企画を唱えだした東京五輪の頃は、省内の者さえ万博とは何かを知らぬ者が多かった時代である。海のものとも山のものともわからぬ日本史上初めての一大イベントを開き、経済的に停滞していた大阪に活気をもたらすという彼の構想は、当時の人には大法螺にも思えたことだろう。省内で批判する者も多かった。それを成功に導いたのだ。驚くばかりである。

ところで堺屋太一とは実はペンネームである。先祖の名だ。本名は、池口小太郎。先祖の堺屋太一は、秀吉が大坂城を築いた際に、堺から大坂に移ってきた商人である。その後店は、唐物、両替商、木綿などを商い、大坂に店舗と奈良県御所市に広大な木綿生産の拠点を持つ大店となった。

戦争末期の空襲で、大阪の家は焼失したが、奈良の家は無事でそこに疎開。戦後の農地解放で農地は取られたが山林や屋敷などの土地は残った。弁護士を営んでいた彼の父はそれでもまだ大地主の資産家だったという。その父親の教育方針や信条は独特なもので、彼にかなり影響を与えたようだ。

タイトルを見てわかるようにこの本の1つの柱である話は、万博である。そしてもう1つの柱は、経済小説、未来予測小説のさきがけとなった『油断』や『団塊の世代』などの小説を書くに至る経緯である。その他にもベート・マイジンガーというドイツ人の女性との交友も彼の中で重要な位置を占め、人の出会いの不思議さ、大切さも描かれている。

堺屋太一の半生を辿ることは、ある意味、日本の戦後の歴史を辿ることである。この人の経歴の中に戦後の歴史がギュッと凝縮されているなと感じた。
この本で戦後史を振り返るとともに、彼の将来予測などの卓見と生き方を参考に、それぞれの日本人が将来を展望すれば多くの示唆が与えられるように思う。

著者三田誠広は、堺屋さんより13歳ほど若く、堺屋さんと同じ出身地、同じ小学校に通ったらしい。歴史小説を多く手がける著者は、自分の生きた時代と強くつながる堺屋太一の半生に非常に興味を抱き、それを巧みに小説の魅力にかえることに成功していると思う。面白さに時間を忘れて最後まで一気に読んでしまった。

現代日本人必読の書としてお薦めします。
石川県 宮下 様(47歳)